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山川 直人(やまかわ なおと、1957年4月10日 - )は、日本の映画監督、東京工芸大学芸術学部映像学科教授〔教員紹介 | 映像学科 | 芸術学部 | 東京工芸大学 〕。 == 経歴 == 愛知県新城市東新町出身。父親は愛知県庁職員。中学生の時、ビートルズの解散(1970年4月)に触発されて周囲がギターを始める中、山川もギターを手に取る。ところが何度挑戦してもうまく弾けず、ちょうどその頃テレビで見たマカロニ・ウェスタンに衝撃を受け「映画の方向に進むこと」に決めたという〔『中日新聞』2015年7月20日朝刊、三河版、14頁。「こころは三河 私の古里」〕。 1973年4月、愛知県立新城東高校に入学。すでに新城市には映画館がなくなっていたため、豊橋市や名古屋市の映画館に通い詰める。 早稲田大学教育学部に進学。同時に「早稲田大学シネマ研究会」に入会。大学2年生の時、シネ研の先輩に誘われて8ミリ映画の美術を担当した。これが自主映画を製作するきっかけとなり、2年生の終わりからシナリオを書き出す〔。 1978年、学生運動を描いた『ビハインド』を監督し、1979年にぴあフィルムフェスティバルに入選する。同年の入選者には、犬童一心、手塚眞らがいる。同作品では郷里の飯田線三河大野駅でロケをおこなった。 テレビ等の露出は少ないが、作品はコアな映画ファンに支持されており、その中でも田中要次は山川が監督を務めたプロモーションビデオに出演したことがきっかけで当時勤務していたJR東海を退職して俳優に転向している〔元国鉄マン田中要次 民営化が「運命」職場は愛知に、映画館通いに火 - スポーツニッポン、2015年11月15日配信〕。作風は前衛的で、初期作品には早大同窓の室井滋を多用している。 映画の他、ZELDAや柏原芳恵のプロモーションビデオを手掛けたこともある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山川直人 (映画監督)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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